「近頃の若者は・・・」
そんな大人の嘆きが聞かれる社会こそ、
正常な、発展中の社会である。
最近久しぶりに会った友人が、
そう話していた。
なるほど、と思った。
おそらくは多分、
そのとおりであるにちがいない。
その上で、
話がついつい、若者論になった。
たとえばシェアハウスに暮らす若者。
筆者どものような、
いわゆるバブルの時代に青春期を過ごしたような世代から見ると、
嫌々仕方なく暮らしているとしか思えない。
しかし、
「一律にそうではなかろう」
と、この日は意見が落ち着いた。
シェアハウスのような密接な共同生活の場で、
仲間たちとのふれあいの中、
楽しく暮らしている若者の目から見れば、
アパートのワンルームに隔離され、
隣人の素性も知らず、
コミュニティとの接触をかたく拒絶していたかつての多くのわれわれこそ、
ある意味での
社会におけるひきこもりであったかもしれない。
そら恐ろしい「観測」も飛び出た。
若者の中から、
もしもこんな声が聞こえてきてしまったら、
どうしよう――と、
いうものである。
その声とは、
「年金、要りません」
というものである。
セリフには続きがある。
「でも掛け金はもちろん払いますよ。先輩達、それで楽しい老後を送ってください」
おそるべき提案である。
「では君たちの将来はどうするんだ?」
慌ててわれわれがそう訊くと、
この「仮定の若者」は笑顔で、
「ご心配は無用です。私達は昭和16年に生きているつもりでいますから」
なんと、
公とのかかわりにおいて、
個人の損得――を
彼は係数として用いないと言うのである。
さらに掘り下げれば、
損得ではなく、美醜で生き方というものを考える――とも。
見ると若者の顔は晴れやかだが、
言われたわれわれにとっては、何ともどすが利いている。
利きすぎている。
さて、
こんな若者が仮に世の中に大勢現われでもしたら、
われわれはどうしたらいい?
友人とふたり、う~んと考え込んだまま、
意見も見解も出せず、
その場はそのままお開きとなった。
ある穏やかな午後のこと。


by Schneewitt…
ある午後の沈黙